あひるの空ヘビーローテーション+

日向武史先生の『あひるの空』が好きすぎて、ネタバレしすぎない程度に考察してます。

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智久は神様になりたかったのではないか?

智久は神様になりたかったのではないか?

まえがき

あなたは神を信じますか?

(ついに、あひろてさんが怪しい正体を現したな)

という話ではありません。

ただ、僕も神になれる。

(やっぱり怪しいぞ、今日のブログ)

決してそういう話ではありません。

智久も神になりたかったという話がしたいだけ。

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僕は2度も「神様」に出会った

僕はここ最近2度も「神様」に出くわしました。思ってもみなかったところで神様に出くわしたため、これはまさに神様のお導きではないかと思ったくらいです。

あ、本の話です。

最近は、すっかり読書がお手の物になってきまして、東大の大津くん*1オススメの読書法「複数の本を並行して読む」を実践し、朝の読書の時間はコレ、スキマ時間に読むのはコレと数冊はすぐ手に取れるようにして読書量も格段に増えました。漫画以外読書を全くしていなかったこの頃↓が懐かしいほどです。

blog.ahirunosora.net

「神様」に出くわした本というのが、コレとコレです↓

『ラッシュライフ』は、”伊坂幸太郎全作品読破運動”の一環で読み進めていた1冊でした。かれこれ伊坂幸太郎作品も7冊読了。だいぶ伊坂幸太郎ワールドに染めあげられてきましたよ。

そして、もう1冊の藤田和日郎先生著『読者ハ読ムナ(笑)』は、たしか以前日向武史先生が「読んだ」とマガジン巻末の作者コメントしてたので、是非一読せねばと思っていた作品でやっと読むことができました。

伊坂幸太郎先生も藤田和日郎先生もそれはそれは神ですが、今日話したいのはそういうことではありません。

いや、極論そういうことかもしれませんね。詳しくお話しましょう。

「胃教徒」と「蚊教徒」

まず、僕が『ラッシュライフ』に出てくる2つの神様論に洗脳されかかった話です。

神様=胃であり、神様=蚊である。

という話がでてきます。

相変わらず僕は不親切ですから、『ラッシュライフ』のあらすじはココ↓でご覧くださいな。

isaka.kamihiko-ki.com

さて、一つ目の「神様=胃」の話はこんなです↓

「俺は自分の意志で勝手に生きている。死ぬなんて考えたこともないし、誰かに生かされているとも思ったことがない。ただ、そんなことは胃がまともに動かなくなったら途端にアウトだ。そうだろ? 俺が必死に口に入れた食事が何一つ消化されず、止まってしまったら、俺の生活も止まってしまうだろうな。ただ、胃をコントロールすることはできない。俺は暴飲暴食を避けて、よく噛み」そこで愉快そうに歯を見せてから、「そうして、胃の状態にたえず気を配っていなくてはいけない。痛みはないか、血便は出てないか、ガスが溜まっていないか。ようするに今の場合、胃は、俺の人生を担っているわけだ。で、俺が胃に対してできることは何かと言うと」
「何ですか?」
「声に耳を傾けて、最善を尽くし、祈ること」

引用:伊坂幸太郎(2002)/『ラッシュライフ』 株式会社新潮社/125ページ-126ページ


胃の話は、こう続いていきます。

「俺は胃を直接見られない。せいぜい、胃が発する警告やしるしがどこかにないかと気を配ることしかできない。後は祈ることだ。内臓ってのは基本的には、俺が死ぬまで一緒のはずだ。いつも見えない場所で、そばにいて、一緒に死んでいく。神様と近いだろ? 俺が悪さをすれば神は怒り、俺に災害を与えてくる。時には大災害かもしれない。それに、人をはそれぞれ胃を持っている。そこも神様と似ている。誰もが自分の神こそが本物だと信じている。相手の神は偽物だとね。ただ、誰の胃も結局は同じものであるように、みんなの信じている神はせねんじつめれば、同じものを指しているかもしれない。」

引用:伊坂幸太郎(2002)/『ラッシュライフ』 株式会社新潮社/126ページ-127ページ

そんなこと思ったこともありませんでしたし、そもそも僕は宗教を無所属で出馬していますから、神様について考える機会なんてこれまでありませんでした。無理やり神様を思い描くとすれば、緑色の姿をしていて、杖を持っていて、カリン塔のてっぺんに住んでるあのナメック型の神様です。

ところが、胃が神様なんだと思って神様を思い描き直したら、ナメック型の神様から大黒様に変わりまして、大黒様が抱えてる袋も胃袋だったりしてね、フフフと想像を膨らませていたら、胃を大切に拝んでれば何か御利益をもらえるかもしれないなんて思ってね、思わずお腹を撫でてしまう単純な僕です。僕を洗脳するなんてお手の物でしょう?


そして、もう一つの切り口で話された神。「神様=蚊」です。

「蚊ってのは普通、樹液やら血液を吸うんだろう? 『ちゅう』ってな。『ちゅう』って言えばキスと同じだろうが。神様の役割ってのは本来、あらゆる人間にキスしてやることじゃねえか」
 河原崎は何も言い返さなかった。その、半ば狂人の屁理屈とも言えるこじつけは確かに生きている時の父のやり方と似ていた。
「蚊なんて、人がいつも無造作に両手で潰しているだろうが。神様も意外にそんなもんなんだ。近くにいる。人はそのありがたみにも気がつかず、平気でぱちんぱちん、叩いて殺しちまっている。神をな。それでも奴らは怒りはしない。神様だからだよ。潰される瞬間、『またか』なんて笑ってしまうくらいだろうよ。俺たちが日常的に殺しちまってるもの、そういうものに限って神様だったりするんだ。」

引用:伊坂幸太郎(2002)/『ラッシュライフ』 株式会社新潮社/179ページ-180ページ

この話もスーっと自分の中に入り込んできて、読み終わったのが秋口でホっとしました。というのは言い過ぎですが。夏場に読んでたら半袖&短パンで畑に繰り出して、体中に蚊様のキスマークを付けて帰ることが誇らしく思っていたにちがいない。「痒い、痒い」と言いながらカラダをかきむしっている僕を見た妻は「自業自得です。うるさい。」バシャリと一蹴されてる姿が目に映ります。

僕は、「胃教徒」にも「蚊教徒」にもなれるぜ。

何の話やらという話ですが、伊坂幸太郎作品のこんなところに無所属の僕は魅了されてしまっている。「アナタ シュウキョウワ?」と、もしYOUに聞かれるようなことがあれば、「ヒナタキョウイサカハ デス」とでも言っておけば、YOUから「日本人の無宗教」についてとやかく突っ込まられることもなくなるかなぁ。

ネット上では揶揄する意味合いで僕みたいに熱狂的な読者を「信者」とか使われるけど、一概にその使い方も間違えじゃないんだと思いました。

『読者ハ読ムナ(笑)』の神様の話の前に

さて、もう一つの『読者ハ読ムナ(笑)』の神様の話に入る前に、『読者ハ読ムナ(笑)』をちょっとだけ紹介しておきたい。なぜなら、タイトルに臆することなく、読者はぜひぜひ手に取ってほしい良書だったからだ。漫画家になりたい人にはドンピシャで響くだろうし、そうじゃない人でも、何か始めようとしている人や、新米社会人にだって響く内容になっています。

中身は、3人の登場人によるフィクションストーリー仕立てで描かれている。1人は藤田和日郎先生、もう1人は漫画家デビューを目指しながら藤田和日郎先生のところへ送り込まれた新人アシスタント、そして、その新人を送り込んだ編集者の3人だ。

新人アシスタントは藤田和日郎先生の教授を受けながら、編集部にネームを持ち込む→突き返される→持ち込む→突き返されるを繰り返す展開となっていて、そのやり取りの中で藤田和日郎先生の漫画論を新人に落とし込む形で、『読者ハ読ムナ(笑)』は藤田和日郎先生の漫画論が披露されている一風変わった読み物でした。

藤田和日郎先生をまず知りたい人は、この動画を見るといい。

www.dailymotion.com

www.nhk.or.jp

『ムクチキンシ』

本の中でも「ムクチキンシ(無口禁止)」は、真っ先に藤田和日郎先生が新人に職場の掟を言い渡します。

 キミがたとえば「おはようございまーす」って言って仕事場に入ってきたとして、そんときおれが座って机に向かって人形いじってるとするだろ。そしたら「なんすか? なにやってんすか?」と聞いとくれ。おれが何かやっていたら、それには興味を持って。
 おれじゃなくても、他人が何かやってたり、おもしろいことがあったら、会話にしきゃいけない。誰かがボケたときに突っ込まないってのはナシ。つまり、おもしろくしてほしいんだ。

引用:藤田和日郎(2016)/『読者ハ読ムナ(笑)』 株式会社小学館/26ページ

前回記事で僕が愚痴った新人たちをぜひ藤田和日郎先生の職場へ送り込みたいものだ(笑)

藤田和日郎先生が一貫して『読者ハ読ムナ(笑)』で言い続けるのは常に言葉にせよということ。無口禁止はそれを端的にした掟だということが最後になってよく分かりました。

漫画は、まず言語化だ。何かを見て感動したとしても、そのシーンを引き写しでやるなよ。言葉に分解して、自分の絵柄でやろうとしてみたら、それはオリジナルになる。好きだったり、泣けたり、感動したようなところは、自分だけの心の動きだから。うわっつらをマネするんじゃんくて、自分が引っかかったポイント。心の動きをかみ砕いて理解しな。それが、個性だし、オリジナリティーだよ。

引用:藤田和日郎(2016)/『読者ハ読ムナ(笑)』 株式会社小学館/283ページ

日向武史先生がTwitterで、観たこと、読んだこと、聴いたこと、に添えられる日向武史先生の言葉がある。

中には誰に向けられてる言葉なのかも分からないものも多い。もしかしたら、これも『読者ハ読ムナ(笑)』に感化され藤田和日郎先生のいうオリジナリティーの実践なのではないと感じました。

一方で僕は藤田和日郎先生のこの言葉を聞いて「あひるの空ヘビーローテーション+」を書き続けることに背中を押された気分でした。このブログは不倫騒動で話題となった宮迫氏の言葉を借りるならば「オフホワイト」だと言い張りたい。藤田和日郎先生の言葉をお借りして「言葉に分解して、自分の絵柄でやろうとしてみたら、それはオリジナルになる」と言い張っていいのであれば、このブログもオリジナルだ。そんな正当性を手にした気分でした。

・・・と虚勢を張りつつも、いやぁ~いつ閉鎖に追い込まれてもおかしくないんだけどね・・・、完全にブラックに近いグレーな漫画考察ブログだという自覚はしています。著作権的にはギリギリのことろで、、、いや、アウトだ。

急に「あひるの空ヘビーローテーション+」がドロンしたら、日向武史先生からお叱りを受けたか講談社からの圧力がかかったか、闇の組織から消されたのだとお察し下さいw

『読者ハ読ムナ(笑)』の神様の話

さてと、神様の話に戻そう。『読者ハ読ムナ(笑)』の中では、こんな形で神様が取り上げらていました↓

 新人はキャラクターをリアルに、リアルに……と考えようとするんだけど、そうやってつまんなくしてないか? 作品の前では、漫画家は神なんだ。何をつくってもいい。それを忘れているから、腰が引けたような自身のなさげなキャラクターになっちゃうわけさ。だけど「なんでなんで?」と深めていくことで、そのキャラクターのドラマは生まれてくる。
 キミは自分の漫画の中では神なんだから、そのキャラクターに対して、どんな設定でも、どんな事情でも考えていいんだ。そいつの背景を知った人間がおもしろいと思ってくれる要素、そいつの物語を聞いた読者が感動するようなすべての状態、すべての伏線をそのキャラクターに取り付けられるんだから、「なんで?」を突き詰めていこうや。

引用:藤田和日郎(2016)/『読者ハ読ムナ(笑)』 株式会社小学館/108ページ

これも『さんまの東大方程式』だったと思うけど、自宅で昆虫をたくさん飼ってる東大生に「なぜこんなに昆虫を飼うんですか?」と質問したところ、「昆虫の前では神になれる」と言っていたのをふと思い出しました。

その時は、うわぁっこいつキモッて思ったけど、扱うものが違うだけで藤田和日郎先生と同じことを言っていたのだろう。

そういえば、伊坂幸太郎先生も似たようなことを言っていたな。

僕に影響を与えた言葉やメッセージが無数にある。そのうちの幾つか。
例えば『絵とは何か』というタイトルの本。
十代のころ父からもらった本だ。帯にこうある。
「人の人生は、一回かぎりである。しかも短い。その一生を”想像力”にぶち込めたら、こんな幸福な生き方はないと思う」
この非常に魅力的で無責任な言葉に、僕は唆(そそのか)された。

引用:伊坂幸太郎(2010)/『3652―伊坂幸太郎エッセイ集』 株式会社新潮社/13ページ

3652―伊坂幸太郎エッセイ集

3652―伊坂幸太郎エッセイ集

作家に身を置くモチベーションとして『3652』で伊坂幸太郎先生が語っておられた言葉だ。これまた同じような主旨のように捉えることができる。

漫画家も小説家もやっぱり神様なんだ。そして、動物の飼い主もまた神様になれるんだ。

そう思うと、神を信じるより僕も神になりたいと思いました。

最近夢見ていることは、小説家になること、あるいは、農民になることなんだけど、「神様になること」と言い換えてもいいだろうか。

その方がカッコイイじゃん。話のネタになるじゃん。あの東大生のように「うわぁっこいつキモッ」て思われるかもしれないけど、彼もそんなユーモアのつもりで言ったのかな。「真顔でそんなこと言ったのがいけないんだよ」と今更ですが指摘してあげたくなりました。

智久が生き物や花を育て始めた理由

こうして2つの「神様」と出くわして、僕はふわりと「ふわりのこと」の智久を思い出しました。やっと『あひるの空』がでてきましたね(笑)

あひるの空(39) EARLY LAST DAYS (週刊少年マガジンコミックス)

智久が生き物や花を育て始めた理由①

智久が生き物や花を育て始めた理由②

智久が生き物や花を育て始めた理由③

この場面では「理由を聞いてもやっぱり分からない答えだったけど」と、智久が生き物や花を育て始めた理由について、由夏は明言をしていない。

たとえば、智久はこんな風に答えたんじゃないだろうか。

「俺だって神様になれる」

生き物や花を育て始めたのは「命とは何か、死とは何か 彼は理論ではなく 目で確かめたいのだ」と由夏は解釈したようだが、それは違う。

病魔に蝕まれ刻々と迫る由夏の死を受け止めるための準備なんかじゃなく、智久らしいもっともっと前向きな考え方だったんじゃないかと僕は思いました。

それが、自らの手で命を生み、死を司るという行為。つまり、藤田和日郎や伊坂幸太郎先生が白紙から命を生み出すように、あの東大生が昆虫の命を自らの手で握るように、「神様になる」ということだったのではないかと僕は思いました。

由夏の死に苦しむ智久姿はこれまでもあまり詳しく描かれてこなかったけれども、生き物や花を育て始めた理由をこんな風に解釈すると、僕はまた胸が締め付けられる思いでした。

智久の精神状態も、極限に近い状態だったに違いない。

じゃあ、どうして神様になりたかったか?僕はこう思う。

「運命に悪戯したい」

「俺だって神様になれる」のあとに続く言葉はこんな言葉だったかもしれない。

『ラッシュライフ』くらい、由夏が言うように突飛で理解しがたい神様論だけど、伊坂幸太郎先生や藤田和日郎先生に言わせれば誰だって神様になれる。

僕は上の2つの神論に出くわすことで、「ふわりのこと」のあの場面に今までとは違ったこんな解釈を生みました。

読めば読むほど、「ふわりのこと」は深い話だよ。白い紙からこんなストーリーが紡がれていくんだもん。漫画家はやっぱり神様だよ。

ココ↓でも「ふわりのこと」について語らせてもらってます。「ふわりのこと」は何度でも読めるストーリーだと思う。

blog.ahirunosora.net

たまに、妻と「どっちが早く死ぬかな」なんて話をします。それは、そんな深刻な感じじゃなくて、もっとカジュアルにだけど。

そんな時は「死ぬときは一緒がいいね」という言葉に僕は同意する。

その時が来る前に僕も神様になれるかな。そうしたらそれくらいの運命の悪戯をさせて下さい。神様。

智久の気持ちがそんな気持ちだったんではないかと気持ちを寄せる。

おまけ。神ギ問。

それぞれの神にはそのファン(信者)がいて、ファンクラブ(宗教)があるのに、どうして、神(漫画家)にはファンクラブがないのか?

ミュージシャンには必ずファンクラブがあり、政治家やお相撲さんにも後援会があるのに、だ。

最近つくづく不思議に思うことでした。

ノーベル賞前にいつものように”ハルキスト”たちがワサワサやってるのを見て鼻で笑っていたけど、実はちょっと一歩先を行った人たちなのではないかと見方が変わりました。

僕と同じように疑問に思い提唱してる人がいました。

u-note.me


堀江貴文のQ&A vol.463〜ファンクラブで安定!?〜

ホリエモンと同じ疑問を感じていたみたいです。光栄です。

僕は3千円/年を払って、Mr.Childrenのファンクラブに入ってます。

特典といったら、

  1. 年間4回発行される会報誌

  2. 年間1回もらえるキーホルダーとかたわいもないグッズ

  3. 不定期更新のFC限定ブログ

  4. LIVEチケットの先行予約特権

くらいです。

ファンクラブだからといって、作品が安く手に入るわけでもないですし、限定の音源が聴けるわけでもありません。そもそもそんなことファンは鼻から求めていません。

純粋にファンクラブに入ることでMr.Childrenを応援してる一員なんだということがステータスになってる。ファンクラブってそういうものでしょ?

漫画以上音楽未満な日向武史先生だからこそ、漫画業界に警鐘を鳴らしてる日向武史先生だからこそ、是非こんなことをやってほしいと切に願ってます。

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*1:『さんまの東大方程式』という番組の名物東大生