あひるの空ヘビーローテーション+

日向武史先生の『あひるの空』が好きすぎて、ネタバレしすぎない程度に考察してます。

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暑中お見舞い申し上げます~『空白』を読んで~

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まえがき

日向武史先生から薦められて以来、読書をするようになりました。

相変わらず、家での読書は禁じられているので(「家族といる時は家族と過ごすこと」という妻の方針)、出勤途中にある公園に立ち寄って、15分ほどの”ひとり読書週間”を始めました。

ナニ気取ってんだよ。

そう思われても仕方がない。

ただ一応弁解だけしておくと、その公園は休日こそ子どもたちでゴッタ返しているけど、平日7時45分になど、ほぼ自分しかいないのよ。

でもね、逆に目立つのか、それともこの公園で挨拶週間が行われているのかわからないけど、読書を始めてまもなく3人に挨拶をされました。

1人は公園の管理人さん。朝、その時間にゴミ拾いをしてて、たぶん僕のことが邪魔だと思ってる。

もう1人は、どこだかの知らないおばさん。たぶん、僕のことが好きなんだと思う。

最後の1人は、いきなり背中越しに「おはようございますっ!!!」と、ビックリマーク3つ分くらいの声で挨拶されて、「やっぱり挨拶週間中なの?」と思って、とりあえず半身になって会釈しながら「おは」って言いかけたら、ただ電話中のオッサンでした。たぶん、向こうも僕がビクっと反応したことに気づいてたっぽくて、僕は本に目を戻し、オッサンは後ろに向き返ってました。

そんな公園デビューをしたもんだから、気取るどころか、いつもビクビクしながら読書してます。

今日は、「拝啓、日向武史様」シリーズです。

blog.ahirunosora.net


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「三種の神器」読破しました。

暑中お見舞い申し上げます。日向武史先生、お元気でしょうか?

お元気ではないですよ・・・元気でない人に、「元気ですか?」はないですよね・・・すみません。

毎日蒸し蒸し暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?

世の中は夏休みですね。息子も夏休みに入って、どういうわけか、いつもはギリギリ7時まで寝てるくせに、夏休みに入ったらパチッと5時半とかに起きてくるもんですから、僕の朝の活動時間がこの夏休みの間は削られてしまいそうです。

僕の朝の活動というのは、3時くらいから始まり、その時の気分のままに、映画みたり、『あひるの空』読み直したり、ネットしたり、ブログ書いたり、歌詞を見ながら音楽聴いたり、読書したりetc…唯一、家にいて何をしても妻に小言を言われない時間です。

そうだ、「三種の神器」やっと読破しました。

神(日向武史先生)によって選ばれた神(伊坂幸太郎先生)の作品のことです。僕がそう呼んでいるだけです。

日向武史先生に薦められるがままに3作品を読んで、すっかり伊坂幸太郎作品に魅せられています。

今まで読書は苦手にしてましたが、これを機に本も読んでみようと、気になった本をAmazonのカートに入れておくのが最近のマイブームです。

伊坂幸太郎作品は半分くらい手元に揃いました。

次は、デビュー作『オーデュボンの祈り』から、出版された順で読み漁ってみようと思ってます。

『空白』

日向武史先生は『空白』を読まれましたか?

この話の流れだと、完全に伊坂幸太郎先生の話だと思われてしまったかもしれませんが、井上雄彦先生の本です。

空白 (Switch library)

井上雄彦先生が『バガボンド』休載中の1年半、数回に渡りインタビューを受けた内容が収められています。

タイトル通り、空白を埋めるような井上雄彦先生の言葉が詰まっていて、僕は休載中の日向武史先生を重ねて読んでいました。

予備知識のないままに『空白』を手に取っていたので、1ページ目を開いて休載の時のインタビュー記事なんだと分かった時、大袈裟ですが運命を感じてしまい、今日は筆をとらせていただきました。

ゾクゾクしました

『バガボンド』は、ただ山の中を駆け回っているとか、川を泳いでいるとか、そういう行為に近い感じかな。ルールがなくて、でも自分の持てるものは全部使わなくてはいけない。自分が持てるものをあらゆる局面で使うことになるという感じです。それで疲れるんでしょうけど。

引用:井上雄彦(2012)/『空白』 株式会社スイッチ・パブリッシング/107ページ-108ページ

僕はここを読んだ時、ゾクっとしました。

『あひるの空』40巻の日向武史先生のコメントだ!とすぐに思ったからです。

ちょっとゲームの話。

僕は子供の頃からファミコンの・・・ドラクエとかのRPGが大好きで。

RPGってのは簡単にいうと、キャラの能力値を上げながら稼いだお金で強い武器や防具を買って更に強い敵を倒していく・・・というものなんだけども、

ことアクションRPGというジャンルに限っては、その発想は完全に逆転させた方が面白いと思うのです。

つまり、戦い方の分からない不慣れな序盤は能力や体力の数値を含め武器も防具も強い。その代わりにレベルが上がるごとに少しずつパラメーターは下がりアイテムや装備も徐々に乏しくなっていくが、物語が進めば操作に慣れ戦い方が身に付き、地図の歩き方を覚えていく。 やがて装備の強靭さよりも指先の技術と鍛えられた勘がものをいう世界。 いつしかのラスボス戦は裸一貫、一発即死の勝負、みたいな。

なんでこんな話をするかというと・・・、 週刊連載ってなんかそんな感じだなと思って。 ・・・個人的にだけど。

いつかおじいちゃんになったら、 また昔みたいにゲームに明け暮れたいと思う、今日この頃。

あひるの空 LOST AND FOUND(40) (講談社コミックス)

あひるの空 LOST AND FOUND(40) (講談社コミックス)

おそらく同じことを言っているのだと思いました。

日向武史先生が「個人的に」と言っていたことが、井上雄彦先生の『バガボンド』を描く心持ちとシンクロしてて、ゾクゾクしました。僕の大好きな作品同士が繋がった気分でした。

「最後のマンガ展」

「最後のマンガ展」、日向武史先生は行かれましたか?

僕は行ってません。10年経ってますが、今更になってひどく後悔してます。

『空白』の中で、しばしば「最後のマンガ展」について語られていて、ただの原画展でないことを初めて知りました。どうやら、「最後のマンガ展」では既に”武蔵の最期”が描かれていたようなのです。

それを知った時、僕の頭には「EARLY LAST DAYS」がありました。

この『最後のマンガ展』は僕にとって、僕が描いてきた『武蔵』の、人を何十人も斬ってきた人生を、それでも肯定するための機会になると思った。『バガボンド』をずっと読んできてくれた人に、この10年の僕の紆余曲折を受け入れて、ついてきてくれた人たちに、どうしてもいい思いをさせてあげたかった。「読み続けてよかった」絶対にそう思ってもらいたかった。
光を描くために影を描く。
争いや人を斬ることは「影」。それを描かなくては「光」も見えないはずだと思っていました。

引用:井上雄彦(2012)/『空白』 株式会社スイッチ・パブリッシング/34ページ-35ページ

井上雄彦先生は「最後のマンガ展」への思いをこう綴っていました。
(たぶんこの部分は、井上雄彦先生の話し言葉ではなく、井上雄彦先生が文章で綴ったものだと思われます)

「EARLY LAST DAYS」で日向武史先生が伝えたかったことが、ここもシンクロしているように感じました。

これまた大袈裟ですが、僕は『空白』との出会いに感謝しました。

というのも、『あひるの空』39巻で日向武史先生の残した言葉が、僕はどうにも腑に落ちていなかったのです。

答えはもう何年も前にネームという形で出ていたけれど、それはあたかも読者をふるいにかけるような行為で、スポーツ漫画としてやっちゃいけないことのような気もしてた。

でもなんていうか…ここまであひるの空を好きで追いかけてくれた人達にはすんなり受け入れてもらえるんじゃないかという変な安心感もありつつ、迷いみないたものはあんまりなかったな。

これはあひるの空の最終回。 だけどもまだ、結末より大切なシーンがこの先に待ってる。

あひるの空(39) (少年マガジンコミックス)

あひるの空(39) (少年マガジンコミックス)

だよね。

無責任で投げやりなこの言葉で、何度も何度もあの結末を納得させようとしてきました。

それでも、あの結末が受け止められなくて、せめてどうにかと九頭高が大栄に勝つ道を探してみたり、もう大栄戦も描かなくてもいいんじゃ?とか逃げ道を考えてみたり・・・

これまでの『あひるの空』を読んでいれば、そうなることなど、容易に想像できていたはずなのに、実際にはポッカリ心に穴が開いてしまっていて、大栄戦に近づくにつれて退屈さを感じていました。
退屈と言ってすみません。

でも、井上雄彦先生の言葉で、やっと分かった気がするんです。

たとえ悲しみを描いても、それはもう、行き場のない悲しみではないのです。

もはや仙人の言葉のようです。

「最後のマンガ展」をあのタイミングで描き、披露したことの意味をこんな風に言ってたことで、僕はハッとしました。

『あひるの空』の光は、これからどんな形であれ描かれるんだ。
それで全ては昇華されるんだ。

そう思えるようになりました。

モヤモヤが晴れ、ワクワクに変わった瞬間でした。

ただ、これも結局は「僕像」なんだということは承知しています。

「僕像」

批判とか中傷に近いネガティブな反応に出会うことがあります。

でも、結局、その感想、批判、中傷、様々な意見、ポジティブな意見も含め、すべてはそれを発信した「その人自身」なんじゃないかと思うんです。

さっきFMラジオで、ある女性シンガーソングライターの曲がかかっていて、「人が見る自分は鏡に映る自分だから」みたいな歌詞があったんですけど、「それは違う、気にするな!(笑)」と思ったんです。そうではなくて、「人が見ている僕はその人が見たい僕。だからその『僕像』が語り得るものは僕ではなくて見ている人自身じゃないか」と僕は思うわけです。自分の姿が、相手に投影されているのだと。

引用:井上雄彦(2012)/『空白』 株式会社スイッチ・パブリッシング/22ページ

井上雄彦先生に戒められた気分になりました。

とりえず、すみません。

御身体ご自愛下さいと言いつつも

音楽にたとえるなら、武道館とか東京ドームである必要がもうまったくなくて、その辺の路上で全然いい。むしろそういう外側や枠に影響されない、ただマンガを描くことの楽しさを自分に取り戻す。「あ、なんか今、描きたい!」と思ったときに描きたい。そいいう感じなんですよね。

引用:井上雄彦(2012)/『空白』 株式会社スイッチ・パブリッシング/185ページ

井上雄彦先生は、これ以降、2015年5月に連載が再開され数話連載されましたが、また休載*1となり、現在に至っているようです。

日向武史先生、やっぱり『あひるの空』のない1週間は、調子が出ないです。

僕にとってのマガジンの『あひるの空』は、折り返しの水曜日に「いってらっしゃい」と木曜日に背中を押してくれていたものだったんだとわかりました。

8月から「いってらっしゃい」と背中を押してもらえそうでしょうか?

9月からだと思っておいた方がよいですか?

まさか年内は・・・なんてことは・・・

いや、再開されればいつでもいいです。

オブラートに包むつもりが、あからさまですね。

どうか御身体ご自愛下さいと言いつつ、連載再開を手招いている自分をお許しください。

また、取り留めのない乱分をお許しください。

*1:最新話となる327話『忠興という名の川』まで